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『市電フォーラム その2』

札幌大学 伊藤 尚博

 札幌市電についてのフォーラムに参加したのでそれを元にしたレポートで、前回「2002-repo-2」の詳細です。
 若干不正確な面はあるかもしれないが、作者の記憶から思い出しながら書いているのでその点はご勘弁願いたい。
 9月29日、札幌市の中央図書館で「札幌の市電と街づくりについて」考える市民フォーラムが開催、札幌の市電の現状とフランスのトラムの現状と街づくりに関する話を聞く機会を得た。フォーラムの主催者は札幌市だが、コーディネートは、市民政策シンクタンクである「LRTさっぽろ」が務めた。
 はじめに、「LRTさっぽろ」の代表である吉岡宏高氏より、札幌市電の歴史と現状について説明があった。

1.札幌市電の歴史
・札幌市電は1917年(大正6年)に札幌電気鉄道(株)によって開業、1927年(昭和2年)に札幌市に経営が移管され、公営となる。戦後、札幌市電は、連接車や連結車の導入による輸送力の増強や、非電化路線への路面ディーゼル動車の開発、導入を行った。
また、運賃収受業務の改善という面でも、入口と出口を分けて、車内の車掌台で改札を行うパッセンジャーフロー方式を始めて採用し、簡略化を図った。このように札幌市電は60年代までは日本の路面電車の最先端を走っており、1960年(昭和35年)初頭の総路線距離は25キロもあり、市内のほぼ全域をカバーし、市役所や道庁などの官公庁、北海道大学や北海道教育大学や高校などの学校、大学病院などの主要な大病院も市電路線の近くにあってまさに市民の日常の足であった。

・札幌・桑園・苗穂の国鉄の各駅と、定山渓鉄道(株)豊平駅で鉄道と連絡していた。

・しかし、60年代から始まったマイカーブーム、自動車の急増で、道路は常に大混雑するようになることで、軌道敷内にも頻繁に自動車が進入するようになってくると表定速度が低下し、定時性が失われたことと、市街地の急速な拡大によって、乗客数が減少、電車事業が赤字になってしまった。そのため、地下鉄の建設と開業に伴って市電の廃止が行われた。

・1971年10月の第1次撤去、12月の第2次撤去、73年4月の第3次撤去、74年5月の第4次撤去と、市電の撤去が進められた。

・74年の第4次撤去で西4丁目から薄野までの間8.5キロの路線だけとなってしまって今に至っている。

1.札幌市電の現状
・現在、市電が走っている地域は、起終点の西4丁目とススキノ周辺を除いて中央区の山鼻や西線などの住宅街のみを走っているので、市電を利用する人たちは限定されている。

・札幌市の人口は、30年前と比べて、80万人以上も増えているが、その大部分は、都心から6〜9キロ以上の圏内で受け止めており、都心から3キロ圏内では20万、3〜6キロ圏内では60万人台にとどまっている。

・現在の路線に落ち着いた74年以降、市電の乗客は減少傾向にある。

・沿線に存在した北海道教育大学、札幌短大や札幌工業高校などの大学、高校が相次いで郊外に移転したことも利用客の減少に拍車をかけている。

・現在の市電の走行時間のうち実際の走行時間は全体の57%にしか過ぎず、残りは、信号による停車と、乗降にそれぞれ、20%台を費やしているため、表定速度が遅い

・乗降は平均で一人あたり3秒程度かかり、ある停留所では、3分以上も停車していた(運賃収受に時間が多くかかっている)。

・車両や施設の老朽化が進んでいるが、億単位の莫大な費用がかかるが、市交通局自体には、新たな費用を出す余裕がない。

・平成20年には、1日あたりの利用客数が2万人を割り込み、市電の存続自体も危うくなる。

・市電の存続問題は、交通問題の観点だけで考えるのではなく、街づくりや環境問題などの多面的な観点から考えるべきで、市電のこれからのあるべき姿を市民に提示していく必要がある。そうでなければ、市電はジリ貧になってしまい自然消滅しかねない。


吉岡氏のお話に続いて、アトリエUDI都市設計研究所の所長で、『路面電車が街を作る21世紀フランスの都市づくり』(鹿島出版会)の著者の、望月真一氏より、「〜車優先社会の修正と街の活性化・人の交通権〜」という命題でフランスにおけるトラム・LRTの整備と街づくりについてプレゼンが行われ、冒頭に望月氏がフランスで撮影したフランスのストラスブールやグルノーブルなどの各都市のトラムと都市中心部の様子が上映された。何回かビデオで、フランスのトラムについて見たことはあるが、現在の日本の旧態依然とした路面電車とは、まったく違う新しいシステムなのだと改めて感心するとともに、平日なのに市内中心部の通りが多くの人でごった返している映像を見て、現在の日本の疲弊し、空洞化していく、中心市街地との落差があまりに大きいと感じずにはいられなかった。ちなみに、ナンシーで今年の3月から運行が開始されたゴムタイヤトラム(TVR、わかりやすくいえば、トロリーバスを大きく改良したもので、地上にしかれた一本のレールに沿って走り、ノンステップタイプである)の映像をはじめて見たが、トラムの技術だけでなく、フランスのトロリーバスの技術が進んでいることを感じさせられた。

・札幌市の公共交通機関は、地下鉄・路面電車・バスがネットワークを形成しており、日本の都市の中では優等生の部類に入る。

・しかし、交通結節やバリアフリーの面などで改良・改善すべき点は多数ある。

・日本の現在の中心市街地の停滞、空洞化の原因は、都市行政。都市計画制度がうまくいっていないと考えるのが自然である。

・日本の都市政策は、今まで都心居住や都心での施設整備などの都心の多様な都市活動支援を行ってこなかった(周辺部から街に人が集まるようにしてこなかった)。また、あまりに車優先で都市交通計画がなく、特に歩行者と公共交通の面で配慮が不足していた。

・都市は本来、若い人も高齢者も、体に障害がある人も、みんなで集まって住み生きていくものであり、生活の場である。また、町は、環境がよく楽しい好い町でなければ、人々は住んでくれないものである。

・フランスでは、60年代までは、日本と同じ車優先の社会であり、各都市にはしっていたトラムを次々と廃止、都市中心部の衰退と空洞化が進むこととになっていた。

・しかし、72年の第1次オイルショック以降、車優先社会に対する反省から、公共交通の整備と中心市街地の活性化に力が入れられることになった。

・フランスでの中心市街地の活性化策では、都心の居住環境の整備と歴史的環境の保全、そして公共交通の整備に力が入れられた。

・車は便利な乗り物である半面、問題も多い。それは、車の稼働時間が短く、移動空間、駐車空間に大きな場所を取ってしまうために、歩行者空間が削減されてしまう。そして、車に依存する街は停滞し、死をもたらす。

・80年に、左翼のミッテラン政権が発足してから、地方分権化が推進されるようになり、82年には全国36,000の地方自治体も完全な地方分権を獲得し、自治体の首長は都市計画の面で大きな権限を獲得した。交通の面では、82年にLOTI(国内交通の方向づけの法律)が制定され、法律の中で交通権が明記された。


「人はいかなる経済的、肉体的用件にかかわらず移動する権利「人の交通権」がある」

「さまざまな交通手段を自由に選択する権利があり車に選挙された都市空間を徒歩や2輪車へ配分」 「公共交通を重視強化する」

「複数のコミューン(地方自治体の最小単位)にまたがっている場合、生活圏として一体的な圏域を構成するエリアとしてPTU(都市交通区域)を設定し、それをカバーする地域でPDU(都市交通計画)を策定すること(10万人以上の都市圏対象)」

・85年に、ナントでトラムが復活し、大きな成果を収めたことで、87年:グルノーブル、92年:パリ、94年:ルーアン、ストラスブールの各都市でトラムが復活し、公共交通強化と都市中心部の活性化に貢献した。2000年には、オルレアン、モンペリエ、リヨンでトラムが復活、ナンシーではゴムタイヤトラム(TVR が開通し、「トラムの年」といわれた。

・グルノーブルやストラスブールではトラムを整備するのに併せて都心の再開発が行われ、トランジットモールを整備して車を中心市街地から締め出すことで、人々が街に集まる場を提供し、それまで衰退していく一方だった中心市街地に人が戻るようになり、中心市街地の活性化に大きく貢献した。

・フランスでは公共交通整備は、都市に必要なインフラ整備として考え、公費によって建設・整備が進められている(日本の路面電車事業の場合は独立採算制なので新たな新鮮を建設する余裕がないところが多い)。

・フランスのトラム整備はただ単に公共交通の機関的な交通手段にとどまらず、街づくりの道具、都市のイメージを作る牽引車としての役割も担っている。

・フランスの地方自治体は小さい自治体が多いため、ひとつの生活圏を有する地域で広域の交通行政体
AOを構成し、AOが都市交通計画の策定、公共交通の整備・運営責任を負っている。また、ネットワーク、サービス頻度等サービスレベルを保証する責任をもおっており、公共交通の運営のほとんどは民間の運営会社とAOが契約で委託している。

・公共交通の財源の内訳は、市町村の一般会計、交通負担金、運営収益がそれぞれ3分の1程度となっており、独立採算制を原則採用している日本の地方公営交通とは大きく異なっている。

・トラムを整備するに当たっては、行政は市民との積極的な対話活動、広報活動と情報公開が行われた。特に、トランジットモールの整備に当たっては、市街地商店街の商店主から、「店に客が来なくなる」と強い反対運動があったが、粘り強い対話活動が進められた。


スライドでストラスブールのトラム整備に当たってストラスブール市が製作したポスターが映し出されたが、ポスターには3枚の写真があって、1番目の写真は街路に車があふれて大渋滞を引き起こしているもので、フランス語でTOUSSEZ(咳き込む)と書かれていた。
 2番目の写真は街路にバス3台が連なって走っているもので、フランス語でINSPIREZ(少し呼吸ができる)と書かれ、最後の3番目の写真は街路をトラムが走っていて、フランス語でSOUFFLEZ!(深呼吸ができる!)と書かれていた。
 このポスターは、車に頼っていると街路を車が埋め尽くしてしまい空気が汚れてしまうが、トラムだと1両で十分な輸送力があり空気も汚れないので、ストラスブールにはトラムが最適であると市民にPRする目的で作成されたものであったのだ。

・近年では、公共交通網の整備以外に、自転車道の整備も進められている。

・車から公共交通への乗換えを進めるために、利用者にとって車より安く早く快適な公共交通作りは重要だ。そのためにも、車やバスとの乗り換え利便性を重視しなければならない。

 望月氏のプレゼンの後、10分間の休憩を挟み、望月氏に対して質問の時間がとられた。その中で、「公共交通の収益はどのくらいなのか?」、「欧米の公共交通には積極的に公費の投入が図られているが、財源はどこで確保しているのか?」といった質問が出された。公共交通への補助の財源について望月氏は「各地域で、10人以上の従業員を雇っている事業者に、交通負担金(税金)を新設し、給与の1%程度を税金として徴収している」と答え、「収益は経費の全体の6割程度で、残りは国と地方自治体とが、それぞれ半分ずつ補助を行っている」と答えた。
 後半は、市電沿線の札幌市立幌南小学校4年生の総合学習の学習発表が行われた。テーマは「これからの路面電車のあり方を考えよう」で、前半に市電に乗車して感じたことや子供たちの絵の発表があり「市電は人や環境にやさしい」「市電は待ちの人に好かれている」「市電は待ちのシンボルだ」などの感想が聞かれ、後半はこれからの市電についてのあり方についての意見発表がなされ「路線をループ化してほしい」「路線を新設して」「お年寄りや障害のある人に優しい電車にしてほしい」「お座敷電車を走らせて」など、子供たちも市電について深い興味を持ち、そして子供たちの独自のアイデアには我ながら感心した。

 今回のフォーラムを通じて市電のこれからについて、改めて考えてみたいと思った。市電の存続問題はただ単に交通問題だけではなく、環境問題、地域の街づくり、バリアフリーなど広い観点から考えていかなければならないなと改めて感じた。本来だったらもう少し早くレポートを完成させたいところだったが、この間、私本人の体の調子が余りよくなく、レポートの作成が長い期間にわたって中断してしまった。今後も何かの機会を見つけて路面電車と街づくりの問題についてレポートを作成しようと思っている。

2002年11月6日
伊藤尚博


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